どうも、HACKMONSTERのSAKUです!!
今日は日曜日ですね。
今回は、天才数学者「アラン・チューニング」について
気になっていたので
それではご紹介していきます(°▽°)
幼少期から才能を開花
イギリス領インド帝国で生まれたアラン
![プログラマーとイギリス](https://i0.wp.com/hack-monster.jp/wp-content/uploads/2020/08/British.jpg?w=1020&ssl=1)
はい!!では、今日もじっくりご紹介していきます
皆さんは、暗号を解くのは好きですか?
僕は「みてるのは好き」なタイプです。(笑)
普段は、暗号なんて縁がない僕なんですが
戦争の歴史を知ることは本当に大切なことだと
プログラマーとして感じています。
調べていると何も知らなかったんだな。と痛快することが多いです。
世の中には、たくさんの世界が散らばっています。
そんな一つの世界に、いたんですね。「アラン・チューニング」が!!
本当に面白い天才なんですよ
アラン・チューニング
彼は、6歳の時にある一冊の本に出会いました。
そう「暗号に関する本」に
暗号というのは、数千年前から使われていました。
歴史が変わると同じように、形をかえ現代でも暗号というのは派生しています。
そんな一冊の本を親友から譲り受け、暗号の世界へと飛び込んだアラン
彼はのちに英雄と呼ばれるまでに、功績を残します。
6歳で暗号に興味を持つなんて。。
どうやら、学校の先生が「この子は天才だ。」と気づいたらしく
14歳で に入学。登校初日がゼネラル・ストライキ予定日と重なったため、前日から100kmの距離を一人で自転車で行くことにして、途中で宿をとって登校。してたそうです。
体力もすごいですね。笑
第二次大戦勃発
![プログラマーと戦争](https://i0.wp.com/hack-monster.jp/wp-content/uploads/2020/08/war.jpg?w=1020&ssl=1)
世界大戦に巻き込まれたアラン・チューニング
数学者となった彼に飛び込んできたのは
政府からの「暗号解読」の依頼でした。
ナチス・ドイツの「エニグマ」を説いてくれ!!と
政府は懇願したわけです。
戦争での作戦を伝達していました。
ドイツは暗号に力を入れており、ローター式暗号機で
その暗号機というのが、何回も何回も改良され
ということを行っていました。
もう意味がわからない。笑
しかし、そんな暗号機に立ち向かうわけですよ
暗号を解く上で彼にはたくさんの問題がありました。
とりわけ一番問題があったのは、天才すぎるがうえに
「仕事ができない人は全員クビにする」という
はい、いや厳しいですね笑
そんな性格が災いして暗号解析するチームは人手不足になるわけです。
うーーーーん、、本当に厳しい状況になります。
暗号解析に成功!!
解析までの経緯
![プログラマーとエニグマ](https://i0.wp.com/hack-monster.jp/wp-content/uploads/2020/08/enigma.jpeg?w=1020&ssl=1)
ドイツが作った「エニグマ」
なんと、その構造は三段階に分けられていました。
本当にざっくり説明すると
暗号を作るための暗号機が、なんと3台あったみたいな感じです。
いやいやいやいや。。もう暗号を作るための暗号機が3台
もう鬼ですね。
そのことに気づいたアラン・チューニングは
チャーチル首相に直接手紙を送り、「エニグマの暗号が解けそうです。
しかし予算がありません。」
というような内容の手紙を送りました。
チャーチルは手紙に目を通すと二つ返事で「予算を出してやれ」
となったわけです。
エニグマを解く鍵
アラン・チューニングはドイツの
さらにその上をいき
なんと、実質4台目となる機械を完成させたのです。
それはのちにコンピューターと呼ばれました。
アランは、ドイツがこのように暗号機を作ったであろうという暗号機を
作り分けていたわけです。
エニグマ打倒をするための、解読機を完成させたわけで
ドイツの暗号も難なく突破することができ、戦況が逆転するわけですよ。
ドイツは解読機から暗号が解読されていることにきづくことができずに
イギリスに敗れることになりました。
しかし、悲しい現実がありました。
![プログラマーとアラン・チューニング](https://i0.wp.com/hack-monster.jp/wp-content/uploads/2020/08/Man.jpg?w=1020&ssl=1)
何かというと、アラン・チューニングの功績は
戦後からつい最近まで、政府がひた隠しにしたということです。
それだけじゃなく、アランは実は幼少期の頃から
同性愛者だったのです。
その時代、同性愛者というのは病気だと認識されていました。
現代では、だいぶ緩和されている話ですが
当時は、「病人」として治療を受けることに法律として決まっていました。
戦後、アランは密かに暮らすようになっていましたが、
自宅に泥棒が入り警察を呼んだことがきっかけで同性愛者だということに
気づかれたわけです。
事情聴取を受けている流れで同性愛者だとわかり
男性ホルモンを投与する治療が始まります。
ひどい話ですよね。
そのせいで彼は、ホルモンを多く投与されたことで細い体は太り出し
精神的にも不安定になって、最後はそのまま亡くなってしまいました。
近年、政府が正式に謝罪を発表しました
そのことがきっかけでアラン・チューニングの人生を描いた
映画なんかも制作されました。
いかがだったでしょうか?
もし、少しでも気になった方は「イミテーション・ゲーム」という映画を
ぜひご覧になってください!!
それでは、また!!